聖書箇所
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モーセは、律法に従ってすべての戒めを民全体に語って後、水と赤い色の羊の毛とヒソプとのほかに、子牛とやぎの血を取って、契約の書自体にも民の全体にも注ぎかけ、
ヘブル人への手紙 ::
9章
19節
それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。
ヘブル人への手紙 ::
9章
22節
ですから、天にあるものにかたどったものは、これらのものによってきよめられる必要がありました。しかし天にあるもの自体は、これよりもさらにすぐれたいけにえで、きよめられなければなりません。
ヘブル人への手紙 ::
9章
23節
キリストは、本物の模型にすぎない、手で造った聖所に入られたのではなく、天そのものに入られたのです。そして、今、私たちのために神の御前に現われてくださるのです。
ヘブル人への手紙 ::
9章
24節
それも、年ごとに自分の血でない血を携えて聖所に入る大祭司とは違って、キリストは、ご自分を幾度もささげることはなさいません。
ヘブル人への手紙 ::
9章
25節
もしそうでなかったら、世の初めから幾度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。
ヘブル人への手紙 ::
9章
26節
キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。
ヘブル人への手紙 ::
9章
28節
律法には、後に来るすばらしいものの影はあっても、その実物はないのですから、律法は、年ごとに絶えずささげられる同じいけにえによって神に近づいて来る人々を、完全にすることができないのです。
ヘブル人への手紙 ::
10章
1節
もしそれができたのであったら、礼拝する人々は、一度きよめられた者として、もはや罪を意識しなかったはずであり、したがって、ささげ物をすることは、やんだはずです。
ヘブル人への手紙 ::
10章
2節
ですから、キリストは、この世界に来て、こう言われるのです。「あなたは、いけにえやささげ物を望まないで、わたしのために、からだを造ってくださいました。
ヘブル人への手紙 ::
10章
5節
そこでわたしは言いました。『さあ、わたしは来ました。聖書のある巻に、わたしについてしるされているとおり、神よ、あなたのみこころを行なうために。』」
ヘブル人への手紙 ::
10章
7節
すなわち、初めには、「あなたは、いけにえとささげ物、全焼のいけにえと罪のためのいけにえ(すなわち、律法に従ってささげられる、いろいろの物)を望まず、またそれらで満足されませんでした」と言い、
ヘブル人への手紙 ::
10章
8節
また、「さあ、わたしはあなたのみこころを行なうために来ました」と言われたのです。後者が立てられるために、前者が廃止されるのです。
ヘブル人への手紙 ::
10章
9節
このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。
ヘブル人への手紙 ::
10章
10節
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