陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。
ローマ人への手紙 ::
9章
21節
ですが、もし神が、怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられるのに、その滅ぼされるべき怒りの器を、豊かな寛容をもって忍耐してくださったとしたら、どうでしょうか。
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9章
22節
それも、神が栄光のためにあらかじめ用意しておられたあわれみの器に対して、その豊かな栄光を知らせてくださるためになのです。
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9章
23節
神は、このあわれみの器として、私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。
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9章
24節
それは、ホセアの書でも言っておられるとおりです。「わたしは、わが民でない者をわが民と呼び、愛さなかった者を愛する者と呼ぶ。
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9章
25節
『あなたがたは、わたしの民ではない』と、わたしが言ったその場所で、彼らは、生ける神の子どもと呼ばれる。」
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9章
26節
また、イスラエルについては、イザヤがこう叫んでいます。「たといイスラエルの子どもたちの数は、海べの砂のようであっても、救われるのは、残された者である。
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9章
27節
また、イザヤがこう預言したとおりです。「もし万軍の主が、私たちに子孫を残されなかったら、私たちはソドムのようになり、ゴモラと同じものとされたであろう。」
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9章
29節
では、どういうことになりますか。義を追い求めなかった異邦人は義を得ました。すなわち、信仰による義です。
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9章
30節
なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行ないによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。
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9章
32節
それは、こう書かれているとおりです。「見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
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9章
33節