私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行ないによって義と認められたではありませんか。
ヤコブの手紙 ::
2章
21節
あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ、
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2章
22節
そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
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2章
23節
人は行ないによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。
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2章
24節
同様に、遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したため、その行ないによって義と認められたではありませんか。
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2章
25節
たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行ないのない信仰は、死んでいるのです。
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2章
26節